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第2回 『新しいこと』



平成22年2月19日 掲載

 インターネットに関しては、商用化の前に大学研究機関で相当実験をやっていた時期があったのですが、その時代から我々も入っています。
 その中で何に一番こだわっているかというと、会社全体として、私もですが、新しいことをやりたいと。ですからWindowsが出てきたときは、もちろんWindowsで商品を出していきたい。携帯電話ができてくることがわかれば、携帯電話の商品を出していきたい。とにかく新しいことが好きです。
 もう一つは、数の出るものが好きです。テレビゲームもそうです。「乗換案内」も初めにパソコンにバンドリングしていくときから始まったわけですが、プリインストールというのは数が出ます。それと、やはり量や質に対するこだわりが非常にあります。今はみんな当たり前のように携帯電話で電車の時刻を調べる文化ができましたが、全国全駅の時刻表をぶち込んでやろうかと思ったのは我々です。
 量と質というのは微妙な問題があって、我々が時刻表をやっていくときも、山手線という環状線の時刻表を入れようと思ったときみんなに、なぜそんなものが必要なんだ、だって3分もしないで次の電車が来るじゃないかと言われた。それは、いやそんなことは決してない、とことん量にこだわると必ず次の質が開けるのだという割り切りであって、多分そこから携帯電話の新しい使い方ができてきたと思います。

 ジョルダンは、乗換案内だけではなくいろいろなことをやっていますが、知名度も出たし、みんなの生活に根づいています。乗換案内がどんな過程を踏んでできていったかということを、ここで振り返っていきたいと思います。
 乗換案内は、初め電子ブックプレーヤーのコンテンツとして発売しました。この時代日本のコンピュータ市場はNECの独占でした。新しい人たちが入っていくのはなかなか大変な時期でもあったわけです。電子ブックプレーヤーというのは、『広辞苑』がデジタルになったことが一番いい例だと思いますが、高速インデックスサーチマシンです。「東京乗換案内」というのは東京の近郊の駅の経路と運賃だけのソフトですが、比喩的に言えば、1というインデックスで中身は羊が1匹、2というインデックスで羊が2匹と。あとはコンピュータでデータをつくっていきますから、いくらでも大きくできます。その当時の容量で最大に入るだけの東京近郊のデータを入れたのが電子ブック版だったわけです。
 ものづくりが主体の会社でいいことも悪いこともあるのですが、販売ということをあまりよく知らなかった。電子ブックというのはそんなに売れなかった。一生懸命力んでソフトをつくってもそれほど数は売れない。さあ困ったなと思ったとき、マイクロソフトがじわじわといろいろな動きを仕掛けていた。それでWindowsというものを出し始めたのですが、Macintoshが非常にすぐれた状態でいろいろな商品があったので、初めはあまり相手にされていなかった。でもじっと見ていると、Windows3.0の辺から「えっ」と思い出して、3.0プラスMMEという時代、Multi Media Extensionというファンクションが入ってWindows3.1となっていくのですが、その辺からひょっとして化けるかもしれないと、NECの9800が全盛の時代でしたが、ひょっとして風穴があくかもしれないという感じを持ち始めました。だったら何でこんなにソフトが使いにくいんだ、マウスだけの簡単な操作でいきたいと思ったのが、パソコン版をつくる一つのきっかけだったわけです。
 我々もコンピュータグラフィックスに関して非常に興味を持っている会社で、ゲームをつくった時代からしてわかってもらえると思いますが、とにかくビジュアル性を全面に出して、「ビジュアルに簡単に」というコンセプトでやっていこうと。それと初めの反省もあって、やはりこれは数が出る世界で持っていきたいということで、ちょうどIBMがWindowsパソコンをマーケットに出し始めた時期がありまして、初めからバンドリングという形で世の中に出していきました。
 初めは経路と運賃だけでしたが、定期代もサポートする形でパソコンパッケージを出した。それで駆け足で全国版まで持っていったのが第1フェーズです。開発自体のスタートは1992年10月だったと思いますが、最初の2年ぐらいの間はとにかくビジュアルに簡単にというコンセプトで商品をつくっていった。その後、これはいけそうだという感じを持ってきましたので、プラットフォームを拡大しようと考えました。今はほとんどなくなってしまいましたが、OS2というOSがこの当時あって、IBMが我々の商品をいろいろ応援してくれていることもあってOS2版をつくっていった。それからMacintosh版をつくっていった。それからWindows95という新しいOSが出るときに、その発売日に商品を出すということを始めてやった。これがプラットフォームの拡大期です。

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