代表メッセージ Top Message タイトルライン

※このページでは、以前に当社代表の佐藤が学生・若手社員向けに行った講演会の内容をご紹介しています。


 私が会社をつくったのは随分昔のことで、動機は全然カッコよくなくて、毎日決まった時間に会社に行くのが嫌で、みんなで一緒にやればある程度自由にできるんじゃないかというのがきっかけです。
 私も自分でプログラムをつくるのが大好きな人間で、ジョルダンというのはプログラムをつくる会社でありたいというのは今も基本的な考え方です。  例えば、総務や経理で入った人間も、できればPHPとポスグレで社内システムをつくらせたいと、実際管理系の人たちがつくってメンテナンスをしている会社です。

 会社設立の時代からの流れで追いかけていきます。
 一番初めのころは、私もそうですが、ワンチップマイコンのプログラム開発をやっていた。その後、ワークステーションを用いての業務システムの開発をやっていた。
 例えば、デジカメの前の時代、写真を撮るとフイルムを持っていって現像を頼む。何日か、かかるわけです。それが50分で写真ができるというサービスが始まった時期があったのですが、これがミニラボというシステムで、プログラムはジョルダンが初めからずっとやっていました。

 そんな中、いろいろな開発をやっていましたが、基本的には好きなことをやるのだから、できるだけ独創的なシステムを提案していきたいと。
 ジョルダンをつくったころやった仕事で、今でもその名前を出すと「えっ」と言われるのが、「クレイジークライマー」というビルに登るゲームをつくったのですが、結構ワールドワイドにヒットしました。これはじつはジョルダンがつくっています。そんなものや英会話のソフトをつくったり、AI(人工知能)で新しいコンセプトを持った「勘蛙(かんがえる)」という商品をつくったり、いろいろなことをやっていました。

 インターネットに関しては、商用化の前に大学研究機関で相当実験をやっていた時期があったのですが、その時代から我々も入っています。
 その中で何に一番こだわっているかというと、会社全体として、私もですが、新しいことをやりたいと。ですからWindowsが出てきたときは、もちろん Windowsで商品を出していきたい。携帯電話ができてくることがわかれば、携帯電話の商品を出していきたい。とにかく新しいことが好きです。
 もう一つは、数の出るものが好きです。テレビゲームもそうです。
「乗換案内」も初めにパソコンにバンドリングしていくときから始まったわけですが、プリインストールというのは数が出ます。
それと、やはり量や質に対するこだわりが非常にあります。今はみんな当たり前のように携帯電話で電車の時刻を調べる文化ができましたが、全国全駅の時刻表をぶち込んでやろうかと思ったのは我々です。
 量と質というのは微妙な問題があって、我々が時刻表をやっていくときも、山手線という環状線の時刻表を入れようと思ったときみんなに、なぜそんなものが必要なんだ、だって3分もしないで次の電車が来るじゃないかと言われた。それは、いやそんなことは決してない、とことん量にこだわると必ず次の質が開けるのだという割り切りであって、多分そこから携帯電話の新しい使い方ができてきたと思います。

 ジョルダンは、乗換案内だけではなくいろいろなことをやっていますが、知名度も出たし、みんなの生活に根づいています。乗換案内がどんな過程を踏んでできていったかということを、ここで振り返っていきたいと思います。
 乗換案内は、初め電子ブックプレーヤーのコンテンツとして発売しました。この時代日本のコンピュータ市場はNECの独占でした。新しい人たちが入っていくのはなかなか大変な時期でもあったわけです。
電子ブックプレーヤーというのは、『広辞苑』がデジタルになったことが一番いい例だと思いますが、高速インデックスサーチマシンです。
「東京乗換案内」というのは東京の近郊の駅の経路と運賃だけのソフトですが、比喩的に言えば、1というインデックスで中身は羊が1匹、2というインデックスで羊が2匹と。あとはコンピュータでデータをつくっていきますから、いくらでも大きくできます。その当時の容量で最大に入るだけの東京近郊のデータを入れたのが電子ブック版だったわけです。
 ものづくりが主体の会社でいいことも悪いこともあるのですが、販売ということをあまりよく知らなかった。電子ブックというのはそんなに売れなかった。一生懸命力んでソフトをつくってもそれほど数は売れない。
さあ困ったなと思ったとき、マイクロソフトがじわじわといろいろな動きを仕掛けていた。それでWindowsというものを出し始めたのですが、Macintoshが非常にすぐれた状態でいろいろな商品があったので、初めはあまり相手にされていなかった。
でもじっと見ていると、Windows3.0の辺から「えっ」と思い出して、3.0プラスMMEという時代、Multi Media Extensionというファンクションが入ってWindows3.1となっていくのですが、その辺からひょっとして化けるかもしれないと、NECの9800が全盛の時代でしたが、ひょっとして風穴があくかもしれないという感じを持ち始めました。

 だったら何でこんなにソフトが使いにくいんだ、マウスだけの簡単な操作でいきたいと思ったのが、パソコン版をつくる一つのきっかけだったわけです。
 我々もコンピュータグラフィックスに関して非常に興味を持っている会社で、ゲームをつくった時代からしてわかってもらえると思いますが、とにかくビジュアル性を全面に出して、「ビジュアルに簡単に」というコンセプトでやっていこうと。それと初めの反省もあって、やはりこれは数が出る世界で持っていきたいということで、ちょうどIBMがWindowsパソコンをマーケットに出し始めた時期がありまして、初めからバンドリングという形で世の中に出していきました。
 初めは経路と運賃だけでしたが、定期代もサポートする形でパソコンパッケージを出した。それで駆け足で全国版まで持っていったのが第1フェーズです。
開発自体のスタートは1992年10月だったと思いますが、最初の2年ぐらいの間はとにかくビジュアルに簡単にというコンセプトで商品をつくっていった。その後、これはいけそうだという感じを持ってきましたので、プラットフォームを拡大しようと考えました。今はほとんどなくなってしまいましたが、OS2というOSがこの当時あって、IBMが我々の商品をいろいろ応援してくれていることもあってOS2版をつくっていった。それからMacintosh版をつくっていった。それからWindows95という新しいOSが出るときに、その発売日に商品を出すということを始めてやった。これがプラットフォームの拡大期です。

 もともと私は横着な性格というか怠慢なところがあるのですが、実際にどこに行こうと決めると素早く動きたいという傾向があって、時刻表がパソコンに入ったら、なんてすばらしいんだろう、ということをだいぶ考えていました。
 それでいろいろ相談に行っていたのですが、皆さん理解のある人たちで、やがてそういう時代が来ると思いますという話は結構言ってくれました。ただ、大きい組織は速やかに動くことは厳しいこともあって、理解はしてくれているけれどもなかなか動きそうもないというときに、自分たちで時刻表を入れられないかということを考えた。さすがに各駅停車までは無理ですが、新幹線と特急と飛行機ぐらいだったら頑張ってやれば何とかなるかもしれない。社内でそれを話したら、みんな、そうだ、やろうやろうという話になって、じゃあということで時刻表を手打ちで打っていったんですね。そのときに、ちょうどインターネットがおもしろい動き方をしていたので、経路に関しては、もうインターネット上でも見せてしまおうと。時刻表はパソコン版で見られるようにしながら、最新の時刻表を、パソコンのパッケージを持っている人はインターネットからダウンロードできるようにすればいいのではないか。そのような形でインターネット版と時刻表搭載のパソコン版をほぼ同じ時期、1995年4月に始めていった。これからいろいろな流れが変わってきました。やはり利便性があったわけです。

 パソコン版で本当に会社が食っていけるのかと思いましたが、思った以上にマーケットが回り始めてきた。それでいろいろなところも、時刻表のデータを販売していこうというスタンスに変わっていく。ただ、時刻表データを販売するときには、もちろんどこに対しても対等な条件で時刻表まで出すということを言ってくれたので、せっかく新幹線、特急、飛行機の入力の部隊ができてきたので、私鉄まで広げようかと。それで私鉄まで広げた。
 東京デジタルホンというのは、今のソフトバンク、前のボーダフォン、その前のJ-フォンですが、じつはJ-フォンのほうがインターネットでのコンテンツサービスはドコモより早かった。ただ、番組という概念を持って自分たちがセレクトしたものを載せていくという発想だったので、i-modeが「だれでも」という形で始めたものに結果的には負けていく。携帯電話のほうで各駅まで載せますという話になってくれて、では我々もパソコンのパッケージで全部の時刻表を載せようということで始まっていった。各駅のところまで時刻表が入ったところで圧倒的に使い方の利便性ができた。
 正直言うと乗換案内は、その辺までは我々もほとんど専任者のいないプロジェクトでした。いろいろな仕事をやりながらみんなで複数のプロジェクトを持とうという感じでやっていた時代で、さすがに各駅まで広げていくという状態まで行ったときには、相当本腰を入れて商売をやっていかなくてはならないということもあって、なかなか兼任、兼務みたいな形では難しくなってきました。
 時刻表を入れたあたりから、どちらかというと携帯電話の動きが急になっていくわけですが、とにかくプラットフォームを拡大していこう。どこの端末にも載せてサービスを提供していく、そんな形でやっていった。そのときに私が考えたのは、我々の乗換案内の先のモデルというのは、切符を売ってそこから手数料のようなものが若干得られる世界をねらっていきたいということで、バナーを載せながら携帯電話で無料サービスを始めていきました。ただ、バナーの収入だけでは少ししんどいところもあったので、有料の高機能版をつくろうということで「乗換案内NEXT」サービスを始めて、これが今の我々の一番の収益源になってきています。

 経路検索のソフトは皆さんご存じのように、いろいろな競合がある。私はビジネスは競合があったほうがお互いに切磋琢磨でいいだろうということで、基本的に競合ありが大好きです。もう一つは、リスクが非常にあって頑張らなくては支えられないような領域は、初め大企業は直接は出てきませんが、ある程度見えてくると当然、組織の総力を挙げて出てくる。それはそういう前提で、我々は我々でまたいろいろなことをやっていけばいいというのが基本的な割り切りです。 その後、パソコン世界版ということです。これはいま世界の航空機の検索も全部できるようになっていますが、大きなビジネスのスキームがあって、世界の経路検索をしようとしたときに、さすがにデータメンテナンスなどいろいろなことがあって、某社のASPサービスを利用してやっているのですが、彼らは基本的に切符を売って幾らという世界なのです。そうすると、情報を見せるだけは勘弁してほしい、切符を売ってほしいと、我々もそれにこたえなくてはならないので、切符を売る部隊をつくっていこうと始めている世界です。
 ただ、昨今M&Aとかいろいろな会社の動き方がありますが、こういう携帯電話で新しいビジネスをやっていくスキームは、どう見ても今までのビジネスの延長上にはない。ものすごい断絶がある。そうすると、いきなりM&Aをかけても絶対にうまくいきっこない。そうではなく、こういうものに関して志のある人がコンピュータのことを覚えながら一緒にやっていく。そのほうが、時間がかかるかもしれないけれども、本当に動き出したときにはよっぽど早いという割り切りで、旅行業経験者で試みたいという人に入ってもらい、やっていくということで始めています。
 ウェブサイトで乗換案内から切符を売っていく場合には、どう見ても国内の出張などでよく用いるサイトですので、大阪から東京まで1泊2日で行って3万円というパッケージを売っていこうということから始まっています。それとあわせながら、我々も小説や漫画の世界に非常に興味があり、これは乗換案内を見ている方はご存じだと思いますが、「読書の時間」というコーナーをつくっています。私は私のこだわりがあって、自分にこだわりのあるコンテンツを今どんどんふやしていますが、読書のコンテンツを相当ふやしてきています。
 それから、「コンパスTV」という携帯電話向けのニュースサイトを立ち上げました。これはジョルダンの子会社コンパスティービーという会社ですが、そこでニュースも少し流し始めています。
 また、「ジョルダンライブ!」という勝手サイトをつくり上げたのですが、これは投稿型でみんなが事故情報を入れてくれる。サイト荒らしみたいな人もいて、いろいろなフィルタリングやどういう動きをするのかを見ながらやっていますが、徐々にアクセスがふえてきています。単純に電車がとまったということをみんなが入れてくれるという話ですから、じつは一番早い。複数の人が入れてくるので、携帯でまずライブを見て、確認をしてから電車の状況を見る。これはもう少し大きく広げていって、いろいろなタウンガイドから何から即時のライブが出るところまで持っていきたいと考えています。

 今後の我々の大きな流れというのは、トラベル、メディアへの試みということをもう一つの大きな柱に置いています。乗換案内の地図とか、タウンガイド的なところでもう少し負けないものにしていくことはもちろんですが。そのような流れの中で、いま我々の乗換案内の携帯の検索数は月間1億を超えている。これはやはり立派なメディアであるという認識を持っています。
 これはジョルダンが何を考えてビジネスをやっているかということの一番根っこにかかわるところですが、私は新しいライフスタイルをつくっていきたい。たまたま乗換案内がぴったりのものになりましたが、あれで酒を飲んでいるときに、終電を気にすることなく飲めるようになったわけです。さて、今から行けばどうなるかという話をその場で調べられますから。
 そこでメディアというのは何かというと、我々が提供したいのは、あっと驚くものというか、みんなの頭がガツンとくるものをとにかくぶつけていきたいというのが本音です。ですから、小説をやるにしても、例えば私は最近の作家で一番好きな人は村上春樹です。彼の小説は、読むとものすごく感動する。やはりそういうものを提供していきたい。そういう流れの中で、みんなが自分の価値観を持つべきだという気持ちがすごくあります。
 多分皆さんは、これから就職のことを考えながら、自分はどうやっていこうということを考えていると思います。そのときに、やはり親の価値観や何かとぶつかるときがあると思います。でもよく考えてほしいのは、だって自分の一生じゃないかと。確かに親は、こんなのがいいとかあんなのがいいということを言うかもしれないけれども、でも生きるのは自分です。そうすると、自分がこうしたいということをやるべきだと。IT業界の最近の就職のいろいろな動向を見ると、ライブドア事件を契機に人気が下がっています。ただ、どうあれコンピュータというのはさわってやっているとおもしろい。おもしろいのだったら、やはりそれをとことんやっていけばいいのではないか。

 社会のベクトルでいうと、最近(*)石油が100ドルを超えたとかいろいろな話を言っていますが、じつは石油は急にはなくならない。いずれにしても一定の有限で高価な資源にはなってきますが、そんな急に代替エネルギーがどうこうというものではない。しかし、今から10年先ぐらいには、やはり石油は非常に使い方を大事にしていかなくてはならない。石油、天然ガス、石炭、いろいろありますが、車などの移動体において石油は必須です。ですから、どうあれいろいろな現象を経ながら、石油は年々高くなっていくと思います。そして2分の1足す4分の1足す8分の1足す……というものの合計が1だから、10年で消費量を2分の1にするということをどんどん繰り返していければ、無限に石油がもつという話になってきます。そういう新しいコンセプトがどんどんできてきながら、世の中全体は大きく言うと今の使い捨ての世界はどんどん変わっていくと思います。
 エコバッグが流行していますが、バブルのころはエネルギーを使うことが美しい社会でした。ただ、これからはエネルギーを消費しないことが美しい社会になる。それはどういうことかというと、ある面では消費することよりも精神性を重んじる、考え豊かな生活、中世のような価値観がまた出てくる。ただ、非常に高精度の画像がリアルタイムにあちこちで動いている世界ですから、ハイテク中世という表現のほうが正しいかもしれませんが、そういう時代が来るのではないか。
 どうあれ、世界じゅうが少子高齢化になっていき、地球規模でのいろいろな分業になっていく。雇用は一つの会社に属するということももちろんありますが、プロジェクト単位でいろいろなジョイントが起こってくる。また、これからはライフスタイルを提唱する企業が伸びていくと思います。

 私から見て、2020年の理想的な人材というのはどんな人材か。これは意外とみんな同じことを言うことになってくると思います。一つは、これは自分も反省を込めて、とにかくコミュニケーション能力を持つべきだと思います。特にプログラムの人たちは自分の世界にのめり込む傾向が強いので、そこは意図的にコミュニケーション能力を持つ。それからもう一つは、どうであれ一芸に特化すべきだと思います。人に負けない何かを持つ。あともう一つは、やはり体力と知力です。さあ今からフルマラソンしようといってぱっと走れるぐらいの体力は皆さんも持つべきだと思います。
 繰り返しになりますが、いつの時代にもこれだけは一流だと。それが例えどんなことでもいいと思います。例えばたこ揚げが一番といっても、多分それで食える時代が来ます。そんなことを考えながら、今後のいろいろな進路を考えるときの参考になればと思います。

 * 講演会当時